|
|
昭和57年8月1日台風災害で翌年6月までの長い間 伊勢竹原〜伊勢奥津間が運休し三重交通がバス8台を代行バスとして走らせている。一部バスは家城駅まで運行
朝夕はバスが連続運転するため一般車もバス優先。途中路線バス(三重会館〜久居〜家城〜奥津〜川上)とすれ違いも代行バス優先。
同じ三重交通でも路線バス乗客は少ないが代行バスは満員という・・・・
また道路などの被害も多く災害復旧工事車両のダンプなどか頻発に通るため 代行バス運転手は地元路線バス運転手を起用してバスが優先的に走るように配慮、顔ききでバックはしないバスとして走らせていたようです
昭和50年8月に台風で2日間運休し 運転再開の初列車は伊勢奥津を6両編成にして松阪へ向かった。たぶん名松線で初めての6両運転と思う。
当時は始発駅の伊勢奥津には夜間松阪行き6:09発が4両編成 7:28発が2両編成留置してあり その台風の時は運転再開の時間が920分ごろになったので、6両編成で運転
昭和53年には家城駅の松阪寄り踏切で伊勢奥津発の列車がダンプと衝突
1両めキハ30系がダンプが積載していた岩に乗り上げ脱線し先頭部が約3メートルの高さになり運転席大破 2両めキハ58系は傷もなく 1両めが倒れなかったのは2両めが支えいたから!踏切施設及びガソリンスタンドのドラム缶散乱など翌日までバスによる代行運転
珍しい代行バス
翌日始発は奥津に残されていた列車2両で運転。7時28分発は松阪より回送にて7時10分ごろ到着。名松線で運用されない気動車が。
昭和50年国鉄ストライキが数日実施され名松線もストップ!しかし地元沿線自治体が代行バスを運転。バス10台を三重交通に依頼して運行。もちろん運賃無料として
同線並行する三重交通路線バスは運賃ありと矛盾したことあり
昭和50年までは名松線家城駅では連結作業などしていた 松阪〜家城間は3両編成から5両編成あり 家城駅で松阪発の列車で切り離し伊勢奥津発の列車に連結作業していた。関ノ宮、伊勢大井、上ノ庄などはホームから外れた車両もある。 もちろん伊勢奥津〜家城間も3両4両編成で早朝と最終は運転
http://blog.goo.ne.jp/central_train
|
|